国分寺の日々2~らいおん亭の思い出~
どうも。「しめじ界のファッションリーダー」ことサラリーマンAです。
国分寺も北口が再開発されてずいぶん様変わりしました。
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国分寺に引っ越して来たのは大学2年のときだった。
それまでは京王線沿線の芦花公園駅と八幡山駅の間くらいのアパートで、自由気ままな一人暮らしを楽しんでいた。
浪人生活を経て、やっと手に入れた東京での一人暮らし。
だだっ広いけれど、一方では窮屈だった田舎を離れての、新しい生活。
大学で次々と広がっていく人間関係。
背中に羽が生えるという例えがぴったりくる毎日を心から楽しんでいた。
ところが、俺のそんなウキウキ東京ライフはある日突然終わりを告げた。
「弟と妹と一緒にアパートに住んでほしい」という母親のたっての願いがあったからだった。
弟は、入学したての専門学校を「格闘家になる」というバカのミルフィーユのような理由でバックレていた。ちなみに、弟がバックレた専門学校は全寮制の厳しい学校で、これまで退学を許したことがなかったそうだが、そこを生来の「よくわからないタイミングで発揮される本気(よくわからないタイミングでしか発揮されない本気)」できっちり退学し、学費まで取り戻してきていた。
そして、格闘家になるために上京すると言い出したのだ。
「格闘家になるために」と「上京する」という2つの因果関係は一瞬わかるようでよく考えるとまったくわからなかった。
いいからお前は、田舎でクマとでも戦っててくれ。
妹は、家庭環境のせいもあって心の調子を崩していて地元の学校にうまくなじめず、そういった多感な子が集まる学校に転校することになった。
これはまぁ、やむなし。兄として助け船を出さねば人の道にそれる。
ただ、妹は死ぬほど弟と仲が悪く、弟と一緒に暮らしたら状態が悪化するであろうことは容易に想像できた。しかし、大人たちはどこまでもおまぬけで楽観的で救いがなかった。
田舎では珍しい(しかも当時は今よりもっとレアだった)心の病を抱え、どう扱ってよいやらわからない妹を、とりあえず「環境を変える」という大義名分のもと東京に送りだすことにしたらしかった。
俺にしてみれば、「冗談じゃない!」の一言に尽きるが、根っからの長男気質であり、新しい人生の第一歩を壮大に踏み外した弟と、新しい人生の第一歩を踏み出すために暗中模索する妹を放っておくこともできない。
何より大恩ある母親の頼みである。弟と妹を地元に置いておいても、そのすべての重荷を背負うのは母親になってしまうというのが我が家の構造だった。
息子ならば、母親の重荷は率先して背負ってやらねばなるまい。
そうして、国分寺の南口にあるアパートで、兄弟3人の奇妙な同居生活がスタートすることになった。
同居生活の開始初日、昼時に「らいおん亭」という近所のラーメン屋で、引っ越しの手伝いに来ていた母親も含めた4人みんなでラーメンを食べた。
母親が、「お祝いだから」と言って、チャーシュー麺に餃子をつけてくれた。
白髪ねぎが大量に入ったラーメンだった。
1年間東京で暮らしていた俺は、上京したてでダサダサの弟と妹、田舎のおばちゃんそのものの母親とカウンターに並んでラーメンを食べるのがなんだかとっても恥ずかしかった。
どこからどう見ても“おのぼりさんファミリーセット”であり、自分がその一員であるのが嫌だった。
順風満帆だった大学生活に突如立ち込め始めた暗雲。
この先を思い泣き出したい気持ちを抑えながら、全然イケていない家族とならんで食べたらいおん亭のラーメンは、暗い俺の心の内とは裏腹にとてもおいしかったのを覚えている。
またいつか、家族で並んで食べてみたい気もする。
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