国分寺の日々4~あかぎの思い出~
どうも。「バブルを経験していないバブルスライム」ことサラリーマンAです。
「学生街の定食屋」って良い響きですよね。
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ひさびさに大学時代の話。国分寺の日々。
前にも書いた通り、国分寺に引っ越してきた大学2年から1年間ほど、弟と妹と3人で同じアパートに住んでいたことがある。
弟は格闘家を目指してキックボクシングのジムに通いつつバイトに精を出し、妹は様々なバックグラウンドを持つ子が集まる自由な校風の高校に通学していた。
当時は、夢見ていた東京での一人暮らしが早々に終わってしまい、悲しみの極致であったが今思い返すとなかなか楽しく、この先はもう得難い貴重な日々でもあった。
そのころ私は、アホな大学生の標本となるべく、めちゃくちゃパチンコにはまっていた。
そして、負けまくっていた。
ただ、パチンコのタチの悪いところは負け続けることではなく、たま勝つところである。
どんな間抜けでも、負けるだけでは続かない。たまに勝つからハマってしまう。
たまにしか勝たないから、その勝ちは甘美なのである。
そんなたまにの勝利をつかんだときは、弟と連れ立って、近くにあった定食屋「あかぎ」へよくいった。
※写真は拾い物
「大衆食堂」というのれんに、サッポロビールの看板、赤ちょうちんという何とも風情のある佇まいの店だ。
いつも、近くにある東京経済大学などの学生でごった返していた。
俺はあまり酒を飲まなかったので、アジフライや唐揚げなどのボリュームのある定食をご飯大盛で頼み、そこにサバの塩焼きなどを1品プラスしてワシワシ食べていた。
ご飯の量もさることながら、定食についてくる味噌汁も大振りのお椀にたっぷり入っていて、おかずも量が多く、それでいて750円くらいでとても安かった。
酒の強い弟は、定食のおかずを肴にビールを飲んだりしていた。
※写真は拾い物。
このお世話になった「あかぎ」に対して、俺は非常に申し訳なく思っていることが実はある。
パチンコで負けまくっていた時、ついには遊ぶためのあぶく銭すらなくなってしまい、バイトをしようと考えた。
(恐ろしいことに、当時俺はバイトすらしてなかったのだ。親の仕送りと奨学金でのらりくらいとしのいでいた)
ちょうどあかぎでバイトを募集しており、「家からも近いしこりゃいいや」と思ってあかぎで働こうと思い、バイトの面接を電話で申し込んだ。
ところがだ。
あろうことか、俺はそのバイトの面接をすっぽかした。
理由は2つ。
ひとつは、当時崇拝していたホリエモンの「学生時代の時間お金には替えれないほど貴重。たった数百円の時給を得るために貴重な時間を使ってバイトなんてするやつはアホ」という教えを知ったからである。
毎日パチンコばかりしていて、今更「時間が貴重」もクソもないのだが、クソばかだった私はホリエモンの教えをうのみにして「そうか!この貴重な時間を数百円と交換するなんてアホのすることだ!」と思い直してしまった。
アホはお前だ。
そして、2つめの理由はパチンコで大勝ちしてあぶく銭が入ったこと。
あぶく銭を稼ぐためにバイトしようと思っていたのに、あぶく銭が入ってバイトする目的がなくなってしまった。
当然あぶく銭であるがゆえに、その幾何かのお金もすぐに泡のごとく消え失せることになるのだが、その時は瞬間風速的にリッチになった。
パチンコで労せずして手に入った数万円を、バイトの時給に換算しだしたりしたらもう終わり。
労働意欲は根こそぎ奪われた。
かくして、ぶん殴ってやりたいほど、アホ丸出しで浅はかな俺は、いつも美味しい定食を食べさせてくれたあかぎの面接をブッチしたのである。
それ以来、気まづくなってあかぎには行かなくなった。
もう一度行って、定食のフライをつまみにビールでも飲んで、酔いの力でも借りながら当時の愚行を一言大将に詫びたいが、それはもう叶わない。
あかぎはもう店じまいをしてしまったからだ。
国分寺にもうあかぎはない。
今となっては、あかぎは記憶の中にあるだけである。
俺自身のバカさ加減とともに。
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